青年層のつながり重ねて16年 自分事(じぶんごと)きららの実践



○ 的場孝至、石川佳子、河村優子、三ツ井直樹

視覚障害者ネットワーク きららの会



【活動目的】 


2001年12月、「同じ眼の病気を持つ人どうし、若い世代ならではの思いを分かち合える場所がほしい」という思いから網膜色素変性症の青年層メンバーによりきららの会は発足した。現在は多様な眼疾患の仲間で活動している。
20代から40代の同世代交流を通じて、学校生活、仕事、恋愛、子育て、趣味、余暇など日常生活のあらゆる場面で遭遇する見えない・見えにくいゆえの困難と工夫を共有することで、明日を描く力を分かち合う。

★きらら定番企画


どれも参加型スタイルの交流。〜多様な障害歴・眼疾患のメンバーが集まって〜

★仕事について話せる場、仕事サロン


年4回実施、メインスピーカーを迎えて経験を聴いたり、支援機器の活用や職場の人間関係などについて参加者で交流。

★見えなくても・見えにくくてもおしゃれがしたい! カラーコーディネート講座


年2〜3回実施、自分に似合う色タイプについて学ぶ基礎講座から、実践的なテーマまで幅広くトライ。
みんなの知りたいを企画に盛り込んで。

★家族で交流 子育て会


見えない・見えにくいパパ、ママ、妊娠中の仲間が集い、まるごと1日にぎやかに交流。お子様どうしのつながりも。

★スマフォ&タブレット体験交流会


日々進化するアプリを活用して、ちょっと困ることが解決できる、そんな小さなあれこれを参加者が持ちより交流。デモだけでなく、実践的な体験も。

★お出かけ企画


一人では自信がないけど、きららでなら行ける、体感できるお出かけに挑戦しています。

★心のケアにつながる企画


きららの企画は交流がコンセプト、ストレスケア講座やテーマトークなど、話す、聴くがメインの交流。

★共催企画


京都府視覚障害者協会、きんきビジョンサポートの皆さんとコラボ企画。
同世代交流が特徴のきらら、他団体連携でさらにネットワークを広げて。

「一人ぼっちじゃない」、つながりからはじまった私達の一歩は、ずばりこれだ!



○自分らしさへ
大切な仲間と自信や安心をくれたきらら、自分を素直に出せる場所。

○居場所へ
勉強、仕事で参加できなくても、いつもきららは私を待っていてくれた。
私の人生には、きららはなくてはならないもの。

○自己覚知へ
情報を得たことで漠然とした不安と焦燥感が緩和され、今できる工夫で、まだなんとかなることが分かり、先への準備期間が延びた。

○きららにしかない安心へ
他の会とはまったくちがう雰囲気、同世代交流って楽しい

○きらら世代だからこその力へ
20代って、職場でも後輩だったり新米だったり、人の目が気になったり、恋愛や結婚だったり、わかり合える場が必要。
オブザーバーの先輩からのアドバイスがもらえるのもきららのよいところ。

○自分事きららへ
スタッフさんと一緒に楽しい企画をやりたい。

○安心へ
悩みがあっても相談することもない日常、きららで気持ちが軽くなって。

○挑戦へ
夢を諦めかけていた私、でも思い直しました。ハンディはあるかもしれないけれど、当事者としての力を発揮できるようになりたい。

○つながる力へ
ひとりで悩まず、気軽に話しができる場所が必要、つながる時間をつくっていきたい。

○意欲へ
きららのイベントに参加したい。だから、一人で歩けるようになりたい。
ガイドさんとも携えるようになりたい。

○発見へ
外にでかける機会も増え、発想の転換ができるように。

○不安からの解消へ
視力が下がっていく、しんどかった時期に、きららにつながることができ、気持ちが楽に。

○元気へ
見えなくても楽しめるものをたくさん知ることができた。

○勇気へ
いろいろなものが使えたり、できたりする可能性がある。

○自己実現へ
自分の思いを企画で実現でき、想定外なことも発見につながる。きららでならできる自分事の自信を満喫。

○見出す力へ
共有の力、誰かの工夫が、他の誰かの参考になり次のステップにつながるように。

【2017年度活動実績】


京阪神を中心に年13回の交流会を実施、74名が参加、年間総参加者216名、新規入会13名。
メーリングリスト登録者169アドレス(2018年3月現在)。

【考察】


視覚リハ、当事者団体スタッフとの横断的連携により、若い世代ならではの苦悩を抱える人につながることが、地域を越えて可能となった。
個人の抱える課題に向き合う対応から、早期に明日への自分を描くヒントにつながっている。
自分事きららの実践から自己実現の機会を獲得できる。
直接出会い、語り合う中での居場所づくりから主体的な活動意欲も生まれ、継続的参加者も増えている。
SNSによる交流の場も多様化する中、顔の見える交流の中でこそ障害の段階的変化に伴う共感の場を提供することができると考える。